働き盛りのメンタルヘルス vol.24
働き盛り世代を悩ませる、さまざまなストレス――。職場における最大のストレスは人間関係、すなわち、コミュニケーションの問題にあります。この1年は、コミュニケーションの視点から、働き盛り世代のメンタルヘルスを考えてきました。2011 年度の締めくくりとなる今回は、コミュニケーションについて総括します。
※このコラムは「健康保険」2012年3月号に掲載されたものです。
コミュニケーションは難しい
職場において、快適でスムーズなコミュニケーションがなされるためには、コミュニケーションがしやすい職場づくりが重要なカギとなります。業務マニュアルの整備や、教育研修の実施によって、どれだけインストゥルメンタル・コミュニケーション(情報伝達を目的としたコミュニケーション)の精度を高めたとしても、その土台である職場環境が悪いようでは、大きな効果は期待できません。
たとえば、「明るいあいさつ」があふれていることは、良い職場環境であることを示す要素の1つです。あいさつは、それ自体に意味がある最も基本的なコンサマトリー・コミュニケーションですから、自然にあいさつが交わされている職場は良い方向を向いていると言えます。しかし、あいさつが「よりよい社内環境整備」を主目的として行われているならば、コミュニケーション自体に意味があるコンサマトリー・コミュニケーションではなく、情報伝達を目的としたインストゥルメンタル・コミュニケーションに近くなってしまいます。つまり、あいさつなどに目的や意図を含めようとすると、職場環境を豊かにするという本来の効果を得ることは難しくなるのです。職場でよりよいコミュニケーション環境をつくるためには、ルールや制度ではなく、自然にあいさつがなされる職場環境を目指す必要があります。
それでは、職場環境を豊かにするためには何が必要なのでしょうか――。職場環境を構成する要素は、会社の安定性や、従業員への業務負荷、裁量権や自由度などさまざまで、これらが複雑に絡み合っています。しかし、視点をコミュニケーションのみにしぼって、職場環境を考えてみると、コンサマトリー・コミュニケーションの量が多い職場、つまり話しやすい、意見が言いやすい、質問しやすい環境が、良好であると考えられます。
とくにポイントとなるのは、いかにしてコンサマトリー・コミュニケーションが自然発生的に生まれる仕掛けを、職場に数多く埋め込むことができるかです。勤務中の雑談・おしゃべりを奨励するわけではありませんが、それが許される適度なゆるさ、懐の深さがよりよい職場環境を、ひいては快適なコミュニケーション環境をもたらすのです。
職場の雰囲気マトリックス
どうして人はコミュニケーションで悩むのか
多くの人が職場の人間関係、コミュニケーションで悩んでいます。しかし、言うまでもなくコミュニケーションは、苦しみだけをもたらすものではありません。むしろ、楽しみであることのほうが多いはずです。1人で食事をするよりも、誰かと一緒のほうが楽しい。友人らと喧嘩をしたりして、たまには1人になって自分の時間が欲しい時もあるけれど、やはり誰かと一緒にいて、コミュニケーションを取ることの楽しさはかけがえのないものです。言うなれば、私たちの人生の喜びも悲しみも、すべてコミュニケーションによってもたらされているのです。私たちにとってコミュニケーションとは、人生における楽しみのすべてであり、また、苦しみのすべてでもあるのです。
この1年間、私がコミュニケーションについて考えながら、何度も思い浮かべた一節を紹介します。
《山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。》(夏目漱石『草枕』より)
〝分かり合うことが難しい他者と、分かり合おうとするための努力〟であるコミュニケーション。良好なコミュニケーションがとれた喜びを感じる時もあれば、不安や悲しみを感じることもあるでしょう。しかし、それが人生であり、生きていくことだとすれば、コミュニケーションとは生きていくこと、そのものだと言えるのかもしれません。私たちは、コミュニケーションなしで生きていくことはできません。悩み、そして、迷いながらも、自分に合ったコミュニケーションを探し続ける旅には終わりがないのです。