働き盛りのメンタルヘルス vol.11
働き盛り世代は、職場においてだけでなく、家庭人としても責任を負うべき立場にある場合が往々にしてあります。今月は働き盛り世代が直面するプライベートの問題について考えてみたいと思います。
今月の事例
大手企業に勤務する菊池さん(仮名)は、小学生の娘と専業主婦の妻の3人で暮らしています。両親とは離れて暮らしていましたが、父親が交通事故で5年前に他界し、それ以来、菊池さんは母親を引き取って生活しています。65歳の母親は、長く連れ添ったご主人を亡くしたものの、家族や友人らの支えもあって、地域活動にも積極的に参加し、充実した毎日を過ごしていました。そんなある日、母親は脳溢血で倒れ、病院に運び込まれました。一命は取り留めたものの、後遺症が残り介護が必要な状態となってしまいました。
老人ホームにいれるのはかわいそうだと思った菊池さんは、在宅介護サービスを活用しながら自宅で面倒をみることにしました。母親は移動に車いすが必要となり、これまでのように友人と外出するのは難しくなりました。1日中家で過ごす毎日が続き、次第に母親は以前のような毎日が送れないことに、強い苛立ちを感じ、それを妻にぶつけるようになりました。妻は、夫の母親の面倒をみていることに対する不満を菊池さんにぶつけるようになり、口論になるケースが増えました。こうしたなか菊池さんは、1日仕事をして、家に帰れば母親の件で口論が絶えない毎日の繰り返しに、次第に疲れを感じるようになっていきました。また会社でも、些細なことで口論になったり、ミスをすることも増えました。
働き盛り世代は家庭でも苦労する
これまで働き盛り世代のメンタルヘルスを、仕事のストレスを中心に考えてきました。しかし、仕事面のみならずプライベートでも多くの責任を担いつつある働き盛り世代は、仕事から離れた場面においても多くのストレスを感じていることでしょう。もちろん今回のような事例だけでなく、働き盛り世代が対応に迫られる出来事はほかにもあります。
働き盛り世代がプライベートで感じるストレスの例
病気・体調不良についての問題や不安
・家族や親の病気
・自分自身の健康に対する不安
金銭的な問題や不安
・住宅ローン、子どもの養育費
・老後のための蓄え
家族にまつわる人間関係
・夫婦関係、子どもとの関係
・夫婦それぞれの家や親戚との付き合い
・親との同居による家族関係のもつれ
その他
・友人関係、近しい人の死や病気、老後・将来の不安
このような、人生で不可避な問題と対峙しなければならない機会が増えていくことも、働き盛り世代を取り巻く環境の特徴であるといえます。将来起こり得る不安の想像はできても、それを予測し具体的な準備をすることは難しいものです。それでは、こうした出来事にどう向き合い、対応していけばよいのでしょうか。
できること・できないことを明らかにしてみる
物事が自分の思い描く通りになることはそれほど多くはありません。むしろ、そうでないケースが多いでしょう。そして、人生の悩みは「対応が極めて困難なことを、思い通りにしようとする」――こうした思考から生じていると考えることもできるはずです。
多くの場合、対応困難な事案を無理になんとかしようとするところから物事の歯車は狂いだし、あらゆる所に歪みを生じさせるのです。そして、「とても自分には解決できない」といった諦めの心境に至ります。なぜ問題に対処しづらくなるのでしょうか。それは、問題が何かをよく考えないうちに、解決を急いだため、うまく対応できず「諦め」てしまうからです。この「諦める」という言葉はあまりよい意味ではありませんが、「明らめる」にするとどうでしょう。こちらは、断念するといった意味の「諦める」ではなく、ありのままを明らかにするという意味になります。
困難な問題にぶつかった時は、まず「明らめ」の気持ちをもって、一度冷静に考えてみる。そして今の自分ができること・できないことは何かを考えて、できるところから努力する。できない部分は、家族や友人など周囲の人の助けを借りたり、会社や行政機関などの制度を活用することで対応する。このような心持ちでいるだけで、つらい時には楽になるものです。
それでは、今回の事例を見ていきましょう。菊池さんは母親の病気をきっかけに、まず親との同居を選択し、家庭環境の大きな変化が生じました。次に、同居をきっかけとした嫁姑の感情のもつれが生じ、家庭内の雰囲気が悪化しました。さらには、家庭の居心地の悪さが菊池さんにとってのストレスとなり、仕事にまで悪影響を及ぼすようになりました。問題の根底には、「母親を老人ホームに入れるのはかわいそう」との思いから、在宅介護を伴った母親との同居生活の負担を、菊池さんが軽くみていたところにありそうです。
菊池さんの家族全員にとって、このような形での同居が突然スタートするというのは、非常に大きな環境の変化です。その選択肢をとる前の段階で、冷静かつ現実的に対応可能な方法がないのかを、親戚や兄弟、そして家族などと十分に話し合った上で結論を出す必要がありました。
菊池さんは母親を老人ホームに入れることに抵抗がありましたが、結果として母親だけでなく妻や子ども、そして自らをも苦しめる状況に陥ってしまいました。このように、人は大きな環境変化やストレスに苛まれると視野が狭くなり、適切な判断を下しにくくなります。「人生においてはできることしかできない、なるようにしかならない」――だからこそ、時には「明らめ」の気持ちをもち、冷静になることで視野を広げようとする試みに意味があるのです。
※このコラムは「健康保険」2011年2月号に掲載されたものです。