働き盛りのメンタルヘルス vol.10
今月は、「働き盛り世代」がキャリアの不安とどう向きあえばいいかについて、考えてみたいと思います。
今月の事例
35歳の鈴木さん(仮名)は、このところ自分の将来について考える時間が増えました。有名大学を卒業し入社した現在の会社は、世に知られた企業で、仕事にも待遇にも特段の不満はありません。同世代の平均的なサラリーマンと比較しても、恵まれた環境にあると鈴木さんは自覚しています。ただ、入社してからこれまでの自分を振り返ってみた時に、個人としてのキャリアが積み重なっている気がしないと感じているようです。単に社内での立ち回りがうまくなっているだけで、社内でしか通用しない経験を積み重ねているだけなのではないかと不安を感じています。
同じグループの上司や先輩たちをみても目標となるような人はおらず、会社の名前と肩書きをなくしたら、相手にされない人たちだと感じてきました。そして、自分も同じようになるのではないか、とすら思えてしまいます。このままでは、自分が活かせないとわかっているものの、これからどうしたいのか、どういう自分になりたいのかについては漠然としたままの鈴木さん。休日や、終業後の時間を見つけて勉強会や異業種交流会に足を運んでも、気分は晴れません。今と同じような毎日がずっと続いていくのだと思いながらも、もっと自分にあった職場や仕事があるはずだという思いが頭の中から離れません。
揺らぐ「働き盛り世代」の足元
キャリアの問題のみならず、「働き盛り世代」を取り巻く環境には、不安要素が満載です。先行き不透明感が広がる社会経済状況、会社を見ればロールモデルの不在、リストラへの不安など、「働き盛り世代」の足元はおぼつかない状態にあります。人手不足で仕事は増える一方であっても、仕事と家庭生活の調和を目指すワークライフバランスや、過重労働を減らすよう注意喚起する既存のメンタルヘルス対策のように、現実とは正反対の方向を目指すようなメッセージが社会のあちこちで発せられています。
「働き盛り世代」は、こうしたメッセージと現実とが大きくかい離している状況下におかれているといえます。いうなれば、社会経済状況に対する不安、会社への不安(業績悪化によるリストラ、倒産など)、個人の不安(子育て、親の面倒)、そして自分の仕事がなんであるのかといった職業アイデンティティ、またはキャリアの不安――この4つの不安に悩まされるのが、現在の「働き盛り世代」に見られる特徴なのです。
キャリアの節目を理解する
「働き盛り世代」が仕事をするうえで、避けて通れないのがキャリアの不安に直面するという問題です。キャリアとは、仕事に関わる個人の生き方のプロセスを指します。キャリア理論によると、キャリアの大きな節目は3つあると考えられています。
①初期キャリア
社会人になって理想と現実とのギャップを初めて感じるリアリティ・ショック。初期キャリアにおいて、学生から社会人への移行の過程でぶつかる壁がこれに当たります。要は「学生の時に思っていたのと、社会人は違う」という現実に直面することです。
②中期キャリア
一通り仕事を経験し、中堅になりつつある30歳前後で感じる節目。仕事にも慣れ、責任ある仕事を任される機会が増えたり、部下の育成や管理業務などを担当することで、これまでのように言われたことをこなすだけなく、自分で考えて仕事をすることを求められるようになります。つまり仕事の質が変化することによって生じる節目です。
③キャリア中期の危機
これら2つの節目を乗り越えた後、会社での自分の方向性がなんとなく見えてくる35~45歳くらいに感じる節目です。35歳を過ぎると、会社の中で自分がこれからどうなっていくのかが、だいたい見えてきます。
天職とは“求めるもの”ではなく、“求められる”もの――
それでは、事例に戻りましょう。みなさんも一度は考えたことがあるはずです。どこの会社でも、どんな仕事でも、じつは大きな違いがない事はわかっているものの、自分に向いている天職があるのではないか。そして天職という言葉を口にする時、多くの方が期待と希望に満ち溢れたイメージを持っていると思います。自分の能力が発揮でき、自分のやりたい仕事ができる、それが天職であると。では、あなたが発揮できる能力はなんであり、どういう仕事がやりたいのでしょうか? また、どのような環境であればいいのでしょうか? このような問いを受けて、明確に答えられる人は多くありません。こうした、自分の立ち位置についての問いを明確にできる人は、現在の職場においても能力を発揮しているはずです。
天職を英語に訳すと、calling という言葉があてられています。天職とは、自ら追い求めて見出すものというよりは、文字通り仕事から「呼ばれる」ものであるかもしれません。自分が何をしたいのかを考え、目の前にある仕事に懸命に取り組んだ結果、仕事に呼ばれる、仕事のほうから自分の存在を求められるということではないかと私は考えています。
言い換えれば、キャリアとはどこかに存在するものではなく、自分が真剣にやりたいことと自分の能力を理解し、与えられた環境の中でどのようにして、能力を発揮していくのかを考えていく力ではないかと私は思うのです。つまりキャリアへの不安は、自分と向き合う貴重な機会であると考えられるわけです。
※このコラムは「健康保険」2011年1月号に掲載されたものです。